田んぼdeミュージカル

北海道むかわ町(旧:穂別町)

作品の概要

まさかとおもったやつが、歌った、踊った、泣いた。
企画も撮影も編集も、すべて初めて。
出演者の最高年齢は82歳。(スタッフの最年長もカメラマンの星勇さん82歳。)
毎日自治大賞奨励賞、地方の時代映像祭部門奨励賞、北海道新聞社北のみらい賞、ホクレン夢大賞農業応援部門奨励賞、北海道北のまちづくり賞奨励賞,他、受賞作品。

 

 

 

 

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ストーリー

「戦争があった。コメづくりに奮闘した。愛があった。村はあたたかかった。」 貧しい大豆畑の農家から脱する決意で戦地へ行き復員した源次郎は、人が変わったように無口になり、ひたすら働くばかりだった。
村人たちのあたたかい勧めで、出征前に見合いをした千代と結婚。食糧難のなか冷害や洪水と闘いながら稲作に励み、宮内庁の献穀米に選ばれる。しかし米の減反が始まると息子はメロン栽培への転換をはかり、源次郎と対立する。
そんな時に千代が病に倒れ、嫁の里子と孫たちが、戦争のために挙げられなかった源次郎と千代の結婚式を行う。
披露宴の中で千代は昔の結婚式の幻想にひたり、家族の思いやりが父と子を若いに導いていく。
昭和18年(1943年)、源次郎に召集令状が届く。
大豆畑だけの貧困の農家から脱するべく源次郎は戦地へ行く。
「お国のためになる」ことが貧困から救われることだったが、昭和22年(1947年)復員した源次郎に残されたものはやはり貧困な農業だけだった・・・。

地ムービーなわけ(地域との関わり)

むかわ町(旧:穂別町)の皆さんが製作した作品。
出演者の平均年齢74歳。企画も撮影も編集も、すべて始めて。
出演者数125人、スタッフ42人、協力団体89団体。

地域でおこったエピソード

平成13年11月の文化講演会で講師の映画監督崔洋一さんが「映画づくりは人づくり」と題して講演。
「支笏湖小学校の子どもたちが卒業記念に映画をつくった」という話しから「それならカントク、わしらでもつくれるべか」「できるできる」から始まりました。

映画のストーリー上の舞台

北海道むかわ町(旧:穂別町)

ロケ地紹介

北海道むかわ町(旧:穂別町)の各所

映画にちなんだ商品・料理など

献穀米(宮内庁で行われる新掌祭に「天皇陛下献穀米」として献上され、3年連続上位等級米実績を持つ農業者から選ばれる。映画では、中沢利幸さんの資料により1980年10月5日に行われた刈り取り清め払い式を、清川三十四さんの田圃で再現。)

穂別メロン

この映画を支援した企業・団体・個人

協力:真光寺、中澤農園、原メロン園、河本洋品店、滝泉、うの寿司、窪田旅館、正栄堂、あららぎ荘、株式会社よしかわ、北倉石油店、藤屋商店、池田重工、原田電気商会、穂別町森林組合、穂別ニサナイ自治会、ほべつ銀河鉄道の里づくり委員会、穂別町富内老人クラブ、穂別町栄和老人クラブ、穂別町社会福祉協議会、穂別聖和学園、穂友会、ほべつ町民劇場、フォーエヴァー、スタジオ・フリーウェイ、栄和カラオケ会、コーラス赤いトマト、原スタジオ、STUDIO Miyagami、KENMEI・音楽事務所、苫小牧穂別会、株式会社BIBI、HAIR・POINTすみれ、丸駒温泉旅館、小林酒造株式会社、生体システム実践研究会北海道支部、ホテルニュー王子株式会社、恵比寿神社、新冠町レ・コード館、千歳市マルチメディア情報センター、松竹衣装株式会社、高津装飾美術株式会社、松竹(株)新撮影所準備室、エイ・アンド・エイ、株式会社アド・ビデオ北海道、NHK札幌放送局、田んぼdeミュージカルを見よう実行委員会、苫小牧市博物館、穂別町立博物館、北海道文化財団、北海道市町村振興協会、穂別町教育委員会、穂別町、ほか。

キャスト・スタッフの思い出のお店・料理・商品など

情報募集中

キャスト

梅藤和男、棚橋幸子、蒲田義明、蒲田喜美子、佐藤元美、栗原知香恵、原大智、ほか。

スタッフ

作品データ

この作品にゆかりのあるところ

北海道むかわ町
北海道勇払郡むかわ町美幸2丁目88
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