西暦と日本人


 日本人にとって西暦2000年を祝うことはどのような意味を持っているのであろうか。西暦と日本人の関係はどのようなものであろうか。

 西暦というものは西洋の暦であるために日本人にはピンとこないという人も多い。これは当然のことと考えられる。なぜならば、現在の日本では公式には西暦を使うことが認められていないのである。現在の日本で公認されている紀年法は年号(元号の通称)と神武天応即位紀元だけである。神武天皇即位紀元は今でも法的には生きている。この神武天皇の即位紀元から660年を引くと西暦になるという形になっており、あくまでも西暦の使用は認められてはいないのである。

 したがって、元号法に基づいて公式文書には必ず年号を用いなければならない。例えば、婚姻届などに西暦を書いて提出しても年号に訂正されてしまうのである。お役所の関係では日本史の教科書や郵便局等の自動消印機などが西暦になっているだけである。

 年号とは、その君主の在位の期間を象徴するものとして年につけた名称である。日本の年号の歴史は古く、西暦645年の大化から始まっている。ちなみに、1代1元に定められたのは明治以降である。現在、年号を使っている国は世界でも朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と日本だけである。北朝鮮が金日成主席が誕生した1912年を元年にチュチュ(主体)年号を制定するまでは日本だけであった。

 したがって、日本人にとって西暦が潜在的にバタ臭い感じがするのではないかと思われる。しかし、現在の日本では前述のように世紀を意識した様々な世紀越え現象が見られる。そして、世紀は日本文化として独自のスタイルを持ち始めているのである。

 そこで、西暦と日本人の関係について振り返ってみよう。

 宣教師がキリシタンの暦として使っていたのが西洋の暦と日本人との出会いであるといわれている。しかしながら、明治時代に入るまでは日本人は年号だけしか使っていなかった。したがって、100年を超える長い期間を計る尺度がなかった。特に鎌倉時代などは年号が毎年のように変わったため年号があてにならず、庶民は干支を使っていたという。

 その後、江戸時代の1794年閏11月の11日、大槻玄沢は家塾に蘭学者を召集し、新元会と称して初めて西洋の新年を祝うオランダ正月の宴を開いた。その日は西洋の暦の1795年1月1日にあたっていたのである。それ以後、1837年までオランダ正月の宴は開かれた。

 そして、幕末になると西洋の暦に大きな影響を受けるようになる。幕末には、神武天皇即位より○○年という記述が出始めているのである。その後、明治に入り1872年(明治5年)11月15日に年号の長い期間を計ることが出来ないという不便さを克服するために神武天皇即位紀元というものを制定した。当時の政府部内では年号を廃止して紀元だけにするつもりであったが、結局紀元を正式、年号を略式として併用することになった。

 1940年(昭和15年)は皇紀2600年であったが、この時に神武天皇即位2600年祭として祝賀式典などが行われた。オリンピックや万博の計画もあったが開催はされなかった。

 その後、1898年(明治31年)に勅令が出される。その勅令には「1900年(明治33年)に欧米諸国のグレゴリオ暦では閏を省略するのに対し、わが国の太陽暦ではユリウス暦と同じように閏を置くことになっており、3月1日以降彼我の日付に1日の差を生じることを避けるため」とある。そして、その勅令が1900年3月1日に発布された。それ以降、皇紀から660年を減じて西暦に直して使用し始めて行く。

 このように1900年(明治33年)の19世紀最後の年に、庶民が西暦を初めて体験することになった。そして、次の年の1901年、20世紀の最初の年(明治34年)に慶応大学で「19世紀、20世紀の歓送迎会」を開催し、1901年には20世紀という言葉が流行した。

 西暦は大変便利であり、昭和から平成になってから西暦の日常化が加速している。平成何年かをすぐに答えられない人が増えている。

 例えば、西暦(グレゴリオ歴)2000年を年号でいうと平成12年、昭和75年、大正89年、明治133年などとなる。また、西暦2100年は平成112年である。平成12年を除くいずれの年号も実際は使用されないものである。

 小渕総理の施政方針演説でも1999年度予算といっており平成11年度予算とはいわなかった。小渕総理が官房長官の時、元号を「平成」と発表したことを考えると、西暦が日本人にもいかに身近なものになってきているかがわかる。

 新聞の発行日なども西暦を使っており、元号は申しわけ程度に小さく括弧で記載されているのが実態になっている。

 したがって、国際化に対応したグローバルスタンダードとしての暦である太陽暦の新暦、グレゴレオ歴(西暦)の使用を認めることが重要になってきていると思われる。日本人が現在最も多用している暦はグレゴリオ暦(西暦)なのである。西洋の紀元であると単純に判断せずに年号と合わせて西暦の併用を認める時期が来ているのではないだろうか。西暦2000年をきっかけとして西暦を公式文書で使用できるように法改正してはどうだろうか。かつて尺貫法をメートル法に変えたように、西暦2000年を契機に、西暦の使用を認めることが望ましいように思われる。


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