1000年前のミレニアム


  今から1000年前の西暦1000年のミレニアムの到来はどのようなものであったのだろうか。

 1000年前のミレニアムは、暦としての千年紀としての認識はなかった。キリスト教社会における千年王国の到来であった。

 千年王国とは、「キリスト教の世界において終末にあたってキリストが再臨し、千年間統治すると信じられた王国」である。転じて正義と平和が支配する理想的世界や、ユ−トピア、黄金時代を指すこともある。

 したがって、西暦1000年頃はその終末にあたった。キリスト教社会では終末感が漂ったのである。

 ミレニアムの直前の990年代には西暦1000年に終末が来るという確信が世の中に広がっていたといわれている。

 しかし、当時の記録はほとんどない。その限られた記録を残した人の一人に945年から1004年まで生きた修道院改革者のフルリ大修道院長がいる。フルリ院長は若い頃パリの大聖堂に集まった人々の前で紀元1000年が終わるやいなや反キリストが現れ、その後まもなく最後の審判が下り、この世が終わるという説教を聞いたという。しかし、フルリ院長はこの説教に異論を唱えている。フルリ院長は司教である。司教が迫り来るミレニアムについてこの世は終わらないと説教をすれば説得力がある。したがって、ミレニアムには終末に対する不安とそれに対する疑問が混在していたと考えられる。

 そして、西暦1000年から数年経過すると最後の審判が起こらなかったいう安堵から多くの聖堂が改築されることになった。

 また、キリスト教以外の文化圏では西暦1000年の到来にほとんど関心を示さなかった。地球には多様な文化が形成され、それぞれが独自の暦をもっていた。例えば、ユダヤ教徒は天地創造とされる紀元前3760年を暦の始まりとしていた。ヒンドゥー教徒の一部は暗黒時代の始まりとされる紀元前3102年、イスラム教徒はマホメットがメディナに移った紀元622年を暦の始まりとしていたのである。日本は年号を使っていた。この様に、キリスト教以外の文化圏は西暦1000年に特別な関心を払わなかった。

 したがって、当然のことながらそれから1000年後の西暦2000年に地球規模でカウントダウンが企画されることなど想像もできなかったと思われるのである。


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