世紀越え・ミレニアム研究5

クリスマスとお正月


 日本の年末年始はクリスマス、お正月、忘年会、ならびに新年会などと大騒ぎです。日本ではクリスマスやバレンタインデー、ならびにハローウィンなどの多くの祭礼を受け入れる文化を持っています。クリスマスもその一つです。

 このクリスマスを華やかなお祭りとして祝うのはプロテスタントの国であり、世界で一番華やかなクリスマスはニューヨークであるといわれています。アメリカではクリスマスセールが大盛況です。

 一方、カトリックではクリスマスは重要な儀式であり、宗教的なミサはあっても世俗的な盛り上がりには欠けています。クリスマスは紛れもなく民衆の生活に根づいた宗教行事なのです。

 そして日本はジングルベルとパーティーで盛り上がり、バブルの時期にはホテルもカップルで満員となりました。現在も、ブティックホテルに行列ができています。シングルにとってはクリスマスを誰と過ごすかが重要な関心事となり、ファミリーは今日はクリスマスですからと仕事を早く切り上げます。クリスマスを一緒に過ごせば、彼氏と彼女は本命ともいわれます。お正月よりクリスマスが好きな人に理由をたずねると「友達が集まってパーティーができる」「おせちよりケーキの方がいい」「ツリーやリースなどを飾り、クリスマスの方がかわいい」などの答えが返ってきます。クリスマスはおしゃれで洋風です。人気アーティストもクリスマスソングを次々と発表し、ヒット曲となっています。

 一方、お正月は和風です。大正大学の調査でも、自分が日本人であることを意識するときは「お正月」がトップとなっています。しかしながら、人気アーティストのお正月ソングなどはほとんど見られません。伝統的な「もういくつねるとお正月……」などがあるだけです。

 それもそのはず、日本では古くは正月は一年のはじめとして年中行事の中でも最も重要な折り目の日でした。暦法が採用される以前は春のはじめをもって一年のはじめとしていました。今の暦でいうと立春にあたる時期です。立春の前日を節分や年越というのはそのためです。年賀状に迎春などと書くのはこうした名残りでもあります。このように、正月に生物が躍動する春を迎え、生命力の更新を喜び祝ったのです。一年の年は稔(ネン)で、年は稲(トシ)でした。

 そして、お正月にはお盆と同じく祖先の霊が訪れると信じられていました。お盆の盆棚と同じようにお正月には年神棚があり、迎え火や送り火をたくようにどんど焼きがあります。また、大昔の新年だった小正月もお盆も、十五夜を挟んだ行事であったことも共通しています。この信仰は、世界各地の民族の間にも見られますが、日本の正月行事にもそうした意識があります。年末になると大掃除をして周辺を浄化します。門松を立て、餅を買うという正月準備は欠かせません。年の変わり目にはあの世から精霊たちがやってきます。特に先祖の霊が年の神として来ます。松を目印にして祖霊が空中を飛んでくるのです。そして、家の中に入り飾られた鏡餅に落ち着きます。門松も鏡餅も祖先の霊が寄りつくための依代(よりしろ)なのです。

 特に鏡餅には年の神の霊魂がこもるといわれます。お雑煮に餅を入れるのも鏡餅を食べることとつながっています。多くの地域で鏡餅が丸いのは霊魂をかたどっているからです。

 今、子供たちの楽しみになっているお年玉も元々は餅でありました。お年玉は年霊(としだま)・年魂(としだま)であったのです。そして、年の神の玉を分かち与えるという意味があるのです。

 そして、しめ縄は年神祭の祭場の標示です。もちろん地域によってさまざまですが、年の変わり目には祖霊だけでなく悪霊もやってくるので、人々は家の内外にしめ縄を張り巡らしたり、松飾りにつるすといわれます。家中でおこもりをし、村の鎮守の境内に参り、そこで一夜を過ごして災厄を防ごうとしました。大晦日の日に家族団らんの一時を送ったり、初詣をしたりして元旦を迎えるのもそれとつながっているのです。

 大晦日から元旦に至る時間には、お寺や教会の鐘、港の船の汽笛や自動車のクラクションなどの音が鳴り渡ります。音色により悪霊を除き、古い時間を捨て新しい時間に突入した瞬間で人々は高揚するのです。

 この一年間を順調に過ごしたいという思いは、絵に描いた門松やセット販売される松飾り、金額ばかりを気にするお年玉など、形骸化して現代の正月となっています。

 このように、門松を建てしめ縄を張る風習は平安時代に始まったといわれ、千年を超える伝統に支えられています。したがって、和風です。

 しかし、最近のお正月は和洋折衷となっています。羽根突き、たこ揚げ、かるたなどの風物も近年は見ることが少なくなっています。門松を建てる家は減少し、晴れ着姿の女性も少なくなっています。近年の正月がどこか寂しいのは正月文化が形骸化し、和風が減少しているからだとも考えられます。和洋折衷の象徴は第九交響曲ではないでしょうか。第九の演奏が日本で初めて行なわれたのは、第一次世界大戦当時の1918年6月、ドイツ兵捕虜収容所が徳島県鳴門市にあり、その兵士たちが演奏したことに始まります。日本人による初演は1924年です。師走と第九の因果関係には諸説がありますが、ベートーベンの交響曲で最後を飾る曲が一年の締めくくりにふさわしいと考えられたともいわています。

 また、「しめ飾り」も徐々に様変わりし、「おかめ」や「宝船」が減りつつあり、洋風のリース型が若い世代を中心に人気を集めています。マンション世帯の増加などが背景にあるといわれます。また、「しめ飾り」のような縁起物を値切る人が増加しており、正月に対する日本人の意識も大きく変わりつつあるようです。さらには、面倒臭いので飾らない人が増えているのです。鏡餅にいたっては、ウルトラマンやドラエモン、並びにハローキティなどの人気キャラクターをあしらったものまで出現し、ヒット商品となっています。

 一方のクリスマスも、もともとはこの頃から昼が次第にのびて太陽の力が強まってくることから、その日を太陽の誕生日であると見なしていたのだといいます。春の到来を祝った日本のお正月と共通するところがあるのです。ハッピークリスマス&ハッピーニューイヤーなどと一緒にしてしまう人も増えています。

 年賀状を多くの人と交換するようになったのも、明治にはいって郵便はがきが発行されるようになってからです。もともとは、元旦に親元や本家に集まって先祖祭に参加したり、生きている親を祝福する一家一門の儀礼であったのです。ちなみに、お年玉つき年賀はがきは1950年から始まりました。時代の変化とともに正月文化は少しずつ変化しています。


   (C)Copyright  for 株式会社ジムービー All rights rserved (本調査研究の無断転載を禁ずる。)

「ミレニアム研究目次」に戻る    「ピース2000倶楽部」へ戻る